written by Kazuyuki Shinkai, Oct.1995
序章

第1章 歴史

第2章 作品紹介(1)

    作品紹介(2)

    作品紹介(3)

第3章 サントラ紹介(1)

    サントラ紹介(2)

    サントラ紹介(3)

    サントラ紹介(4)

    サントラ紹介(5)

    サントラ紹介(6)

    サントラ紹介(7)
(はじめに)

この原稿は95年の7月頃から10月にかけて執筆され、「meantime」第4号に掲載されたものです。従って文中で「今年」とか「最近」などと表現している場合は、95年の秋頃のことだと解釈して下さい。(May 1998)



序章

 拳銃とか、若者どうしの殺人とか麻薬が日常生活の中に入り込んでいない我々にとって、いわゆるギャングスタ・ラップというのは理解しづらい。たとえば、今年の大穴ヒットメイカーとなったThe Notorious B.I.G. (aka Biggy Smalls) のデビューアルバム。タイトルが「Ready To Die」で、あどけない黒人の赤ん坊がジャケットに描かれる。これを、悪趣味なフィクションとして受け取るか、現実を直視した「社会派」と受け取るか。ラップに興味のない人ならばたいていは前者として捉えるだろう。しかし、彼らの現実を考えれば、後者が正解なのである。

 ひとつ、エピソードを紹介しよう。昨年一世を風靡したR.Kellyという男。「Sex Me」だの「Bump N'Grind」だの「やみつきボディ」(...という邦題だそうです、原題はYour Body's Callin')といった曲ばかりヒットさせて、若い女の子ばかりプロデュースするわ、その中でも弱冠15歳のAaliyahと浮き名を流すわで、すっかりエロエロ星人というパブリック・イメージが出来上がってしまった。しかし、こいつ、若い頃はさぞ遊びまくってた軟派野郎なんだろうな、というのは日本的な発想なのだ。
彼は67年、シカゴのプロジェクト(低所得者用公団アパート)にRobert Kellyとして生まれた。4人の子供を残して父親は蒸発し、母親はなんとか子供たちをマトモに育てようと、毎週日曜日は必ず教会に通わせた。多くの黒人シンガーは、この経験を通じてゴスペルの感覚を肌で覚える。Robertは子供の頃銃撃を受け、その弾丸が未だに肩に残っているという。といっても彼が今流行のギャングスタみたいに銃を振りかざしてたから狙われたわけでもなく、ただ単に彼が新品の自転車に乗っているのを妬まれたからである。黒人やヒスパニックの最底辺層が密集するシカゴのゲットーというのは、こういうところなのだ。
プロバスケ選手を目指すが挫折し、音楽教師に奨められて音楽の道へ。グループを結成し、毎週行われるテレビのタレントコンテストで90年のグランドチャンピオンになるが、契約したレコード会社やグループのメンバーからその獲得賞金を巡って難癖をつけられ、グループは解散、契約も破棄。心機一転、ミュージカルのオーディションを受けにいったところで彼の才能が認められ、現在のJIVEと契約。91年、ダンサーであるPublic Announcementを率いてデビューアルバム 「Born Into The 90s」を発表。ブラックマーケットではすべてのシングルをヒットさせて年間No.1セールスを記録するなどの爆発的な支持を得る。そして2年後の「12 Play」で世界的に名を広め、シングル「Bump N'Grind」で、いわゆるRock EraになってからのR&BチャートNo.1最長記録を塗り変えた。

苦労人なのである。どん底からスターダムまで這いあがるブラックミュージシャンたちのすべてがこんな苦労をしてきているとまでは言わないが、別にR.Kellyが例外的にとくに苦労人だというわけでもない。とりあえず、彼は世間で思われているような単なるエロエロ星人ではないし、ギャングスタ・ラップで語られるような、ムカついたから銃ブッ放してやったぜ、というのは決してフィクションではないのだ。

ギャングスタ・ラップ同様我々にはその作品の真価が伝わりにくいのが、ここ数年盛んに制作されているブラック・ムービー、中でもいわゆる「Hoodモノ」である。そもそもは91年の大ヒット作「Boyz N'The Hood」から生まれた言葉で、「Hood」は「Neighborhood」の略。うまく日本語にするのは難しいが、いつも顔を合わせる馴染みの連中と、自分の住んでいる町一帯だけで物語が完結する、といった感じか。宇宙に行ったり化け物が出てきたりとかいうのの対極にある、「日常生活モノ」とでも言えばいいのかな。
この「Hoodモノ」の何がわかりにくいのかというと、先に書いたギャングスタ・ラップに対する誤解と同じなのだ。なにしろこういう映画はリアリティがあることが命である。暴力シーンも何もかも生々しい。しかし、その「現実っぽさ」が逆に映画らしい派手さに欠けるということで「2流のアクション映画でしかない」、つまりこれはランボーやダイ・ハードの縮小版でしかないという声が出てくる。違うのだ。麻薬や銃の問題は、決してお話の中だけで完結するような生易しい問題ではないのだ。その後の柳の下のドジョウ狙いはいざ知らず、少なくとも「Boyz N'The Hood」の監督・John Singletonは、この作品を「暴力アクションエンターテイメント」として観客に楽しんでもらいたいわけではなく、これがなにがしかの問題提起になることを意図していたのである。

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