Who is Lee Greenwood ?
2001/9/29付けBillboard HOT100で突然16位に初登場し、翌週にはあっさりトップ40圏外に消えていったリー・グリーンウッドなるアーティスト。実はアメリカ同時多発テロ事件と大いに関係のあるこのヒット、日本カントリーミュージック協会理事の森井さんに解説をお願いした。



リー・グリーンウッドは1942年生まれのカントリー・シンガーで、一言で表せば「声量のあるケニー・ロジャース」。音楽家の両親のもと幼い頃からサックスはじめ多くの楽器を習得、中学生で初のバンド、The Moonbeams を結成。60年代半ばには Sandu Scott & The Scotties の一員(サックス・プレイヤー)としてツアーし、エド・サリヴァン・ショウにも出演。
 Scott が引退した時、他のメンバー2人がリーに新バンド結成を持ちかけて来たが、彼はラス・ヴェガスでカジノのディーラーとしての安定した収入を得るため辞退。やがてその2人、Dino Danelli, Felix Cavaliere は Young Rascals を結成し大活躍するなど、リーにとっては不運が重なり、70年代半ばまで不遇の時代を送る。
 78年、意を決してナッシュヴィルへ移ったリーは自作曲をデモ録音し、売り込みに奔走。結果として、当時のMCA出版社の社長でもあったプロデューサー、Jerry Crutchfield の目に止まり80年、MCAレーベルとの契約が成立。
 81年、初ヒット・シングル“It Turns Me Inside Out”はじわじわとカントリー・チャートを上昇、最高位こそ17位だったがチャートに22週留まる。そのかすれ気味の、ヴィブラートを効かせた声で歌われるバラードはたちまち当時人気絶頂のケニー・ロジャースと比較され、注目を浴びた。そして次のシングル(もちろんバラード)“Ring On Her Fingers,Time On Her Hands”から18曲連続トップ10ヒット(デュエット除く)を記録、92年までに7曲のNo.1を含む計33曲をヒットさせる等、チャートの常連だった。
 95年には長年に渡るツアー生活から退き、家族との時間を大切にする一方、96年には自分の劇場を設立、演奏と作曲活動だけは怠っていない。そして今年、久々に Jerry Crutchfield のプロデュースで FreeFalls Entertainment から 新譜“Same River, Different Bridge”をリリース、ツアーも計画されている。

 私は92年10月、ラス・ヴェガスでリーのライヴを見る機会に恵まれた。それまでFEN(現AFN)でライヴを聞いたことはあったものの、始まるまでは「静かにバラードばかり歌うのかな?」とやや不安だった。ところがいざ始まってみるとそんな不安は吹き飛んだ。バラードからアップテンポまで、大ヒット曲や新しい曲を歌いまくり、ジョークや過剰なアクションで会場を笑わせ、サックスも披露。私を含む日本人の一群を発見すると話しかけ、かつて日本に行った時(レーガン政権の頃親善大使として来日したらしい)村田英雄から教わった、と言って「りんご追分」を歌い出したのには驚いた。歌詞はほとんど忘れていたが…。とにかく評判通りのエンターテイナーぶりだった。

83年に発表したシングル“I.O.U.”とセカンド・アルバム“Somebody's Gonna Love You”でMCAはリーをいよいよ「第2のケニー・ロジャース」とすべく、ポップ・チャートへ挑戦。しかし時代の流れは既にカルチャー・クラブ、デュラン・デュランら英国勢中心へと移り変わっており、“I.O.U.”は53位(カントリー6位)、続くタイトル曲も96位(カントリーでは初の1位)、アルバムも73位(カントリー3位)と振るわず、目論見は失敗に終わる。日本でも当時ビクター音楽産業より『愛に包まれて』という邦題でLP発売されたが、黒い背景にリーが横たわる原盤ジャケット写真が「横たわる一輪のバラ」へとすり替えられており、AOR的売り方をしていたことが伺える。 まあお世辞にもハンサムとはいえないルックス、髪も前頭部は薄く、さらにヒゲ面とあってはすり替えられても仕方ないか、と当時思ったが、結局売り上げはサッパリだった。
 84年に発表されたサード・アルバム“You've Got A Good Love Comin'”からの第1弾シングル“God Bless The USA”はリーの人生を一変させる曲となった。元々は83年9月1日のソ連による大韓航空機撃墜事件を契機に自作した曲で、カントリーで7位を記録。その歌詞の愛国的内容からやがて彼の代表曲と見なされ、コンサートでは必ずラスト・ナンバーとして歌われるようになる。
 しかし、この曲をカントリー・ファンのみならず全国民に知らしめるきっかけとなったのが、91年の湾岸戦争。当時この曲はカントリーはもちろんポップのラジオ局でもさかんにオンエアされ、兵士・その家族、そして国中であらゆる局面で口ずさまれ、遂には「第2のアメリカ国歌」と呼ばれるに至ったのである。

 さて当時のチャートで疑問に残る点がいくつかある。まずチャートブックによると91年6月8日付から13週、この曲がHot 100セールス・チャートにランクされ最高位が30位とあるが、これはあくまでビルボードに掲載された部分に限られており、必ずしも正確ではないと思う。当時ビルボードはBDS集計によるエアプレイ、SoundScan集計によるセールスのテスト・チャートを作成し始めており、一足早くカントリー・シングル・チャートを90年1月20日付でBDS集計に移行していた。従ってHot 100でも6/8以前にテスト・チャートは存在しており、湾岸戦争中〜後の2〜3月ならもっと上位にランクされていたはず。まあチャートブックはあくまで掲載されたものしか扱えないから、仕方ないのだけれど。
 またこの曲は91年当時エアプレイ・チャートにはランクされた実績が残っていないが、実はエアプレイ・リカレント・チャート(既にチャートから落ちた曲が載る)にはランクされていたのだ。これも考えてみればおかしな話で、Hot 100はもちろんエアプレイ・チャートにもランクされたことのない曲が何でいきなりリカレントに入って来るのか。
 まあいずれにせよ当時のHot 100集計方法ではこの曲はランクされる余地はなかった。ところでカントリーではどうか。84年にヒットした時、この曲は計17週ランクされた。そして91年、この曲は長期間カントリー・リカレント・チャート(現在は雑誌には掲載されない)の1位を独走した。だがちょっと待て。カントリー・チャートのルールでは「20週以上ランクされ、トップ20から落ちた曲はリカレントに移る」とある。これは現在も変わらないが、ならば91年当時少なくとも3週、この曲はカントリー・チャートにランクされねばならなかったはず。その時はランクしなかったくせに、なぜ今回はカントリー16位に再登場させたのか。まさか「今回はレコード会社が最新ヒット扱いで プッシュしたから」などという訳の分からない理屈をこねるつもりか、ビルボード。しかも weeks on chart がまだ15週目ってのはどういう訳?

 最後に、この曲を入手しようとしている人へアドヴァイスを。CDを買うなら、MCAから発売されている“Greatest Hits”[MCA 5582]、もし無理なら“Greatest Hits,Vol.2”がお勧め。どちらにもこの曲は入っていますが、他の収録曲の質を考えると、前者の方が絶対いいです。前述のポップ・ヒット2曲も入ってるしね。
 他にもEpicから出ている“Super Hits”、Curbから出ているベスト盤もあるが、私はどちらも未聴でオリジナル音源かどうかはっきりとわからないので、あまりお勧めできません。そして、絶対に買わない方がいいのが、Capitolから92年に発売された“American Patriot”。ここに収録されている“God Bless The USA”は明らかに再録ヴァージョンだし、他の収録曲も“The Star Spangled Banner” “This Land Is Your Land”等、愛国的な歌ばかり。アメリカではこのCDが一番売れちゃってるようだけど、まあそれは仕方ないとはいえ、このCDのヴァージョンがオリジナルと錯覚されちゃ困るんだよねえ。MCAさん、こうなったら再度シングル発売して「こっちが本家本元だ!」と宣言したら?

森井 嘉浩
日本カントリーミュージック協会(JCMA) http://www.jcma.gr.jp


左から "Greatest Hits" , "Super Hits", "Have Yourself A Merry Little Christmas" (2001年リリースの最新作)